樹木の遺伝的多様性
−岐阜県におけるホオノキの場合−

(岐阜県森林科学研究所)中島美幸


はじめに
 生物が健全な子孫を作り,種を維持していくためには,まず一つ一つの個体が健全であることが重要であることはいうまでもありません。しかし,それに加えて重要なのがその生物種の持つ遺伝的多様性です。
 近年,野外で生育する動植物において,遺伝解析によってその遺伝的多様性を評価する研究が盛んになってきており,木本植物もその例外ではありません。ここでは,遺伝的多様性の評価方法と岐阜県内のホオノキを対象に実際に調べた結果を紹介します。

遺伝的多様性の重要性
 野外で生育する樹木は,その大きさや形状は環境によって影響されますが,遺伝構造は環境による影響を受けることはありません。
 樹木のように寿命の長い植物は,寿命の短い草本植物に比べて,長い間,その生育場所で遺伝的多様性を保っています。しかし,自然災害や伐採によって個体数が激減したり,別の地域から移植が行われたりすると,その遺伝構造が撹乱され,遺伝的多様性に影響を及ぼす可能性が出てきます。遺伝的撹乱は,私たちの目には見えないものですが,将来,その樹種が子孫を残していけるかどうかに関わってくるものです。したがって,樹木の遺伝的多様性を評価し把握することが,重要になってきているのです。

遺伝解析方法のいろいろ
 ‘遺伝的多様性が高い’ということは遺伝的変異(遺伝子型のバリエーション)が大きいことをいいます。遺伝解析ではこの遺伝的変異を調べます。
 遺伝解析方法には様々な種類があり,現在も,さらに効率的に遺伝的変異を調べることの出来る方法がどんどん開発されてきています。遺伝解析には大きく分けて,葉や種子からDNAを取り出してそのタイプ分けをする方法(DNA分析)と,酵素を取り出してその活性パターンを調べ,そこから酵素タンパク質を支配している遺伝子型を推定する方法(アイソザイム分析)があります。これらの方法は,すべて一様な結果が得られるものではないため,地域ごとでの遺伝的多様性の比較や,同じ科に属する種の系統分類,親子関係など,調べる目的によって使い分けられます。
 野外に生育する樹木の遺伝的多様性を調べるためには,ある地域内における対象樹種の個体のまとまりをひとつの‘集団’とみなし,そこから材料を収集して遺伝解析実験を行い,集団内および集団間での遺伝的変異の大きさや違いを評価します。
 集団ごとの遺伝的変異を調べる解析では,対立遺伝子,遺伝子座(対立遺伝子の占める位置)および遺伝子型(対立遺伝子の組み合わせタイプ)を推定し,遺伝的変異を評価します。

遺伝的変異を数値で表す
 それでは,遺伝解析実験によって得られた結果から遺伝的変異をどのように評価するのでしょうか?遺伝的変異を評価するには,実験結果を用いて‘遺伝的変異量’と呼ばれる数値を算出する必要があります。
 遺伝的変異量には,一遺伝子座あたりの対立遺伝子数Na,多型的遺伝子座(複数の遺伝子型が存在する遺伝子座)の占める割合P,ヘテロ接合度の観察値Hoおよび期待値Heがあります。これらは実験によって推定された対立遺伝子や遺伝子座,遺伝子型の数から求めることができ,値が大きければ大きいほど,その集団の持つ遺伝的変異が大きいといえます。さらに,ヘテロ接合度では観察値と期待値のずれを調べることにより,近親交配がどれぐらい進んでいるかを評価することができます。
 一方,集団どうしの遺伝構造がどれぐらい違っているかを評価するために,遺伝分化係数Gst,遺伝距離Dを算出します。これらの値は,先に求めたヘテロ接合度から算出することができ,この値が大きければ大きいほど,集団間での遺伝的多様性の違いは大きく,遺伝子の交流が起こりにくいことを示しています。
 このように,遺伝解析では結果を様々な計算方法で数値化することにより,遺伝的多様性を評価することができます。

岐阜県産ホオノキの遺伝的多様性
 ここでは,岐阜県に生育するホオノキの遺伝構造について調べた事例を紹介します。ホオノキはモクレン科の一種で,岐阜県ではわりとどこにでも見られる樹木です。特に,飛騨地方や東濃地方では朴葉みそや朴葉寿司などで馴染みのある樹木です。
 樹木は自分自身では移動が出来ないため,花粉や種子の移動がその遺伝的多様性に影響を及ぼします。また,花粉や種子が風もしくは動物によって運ばれるかでも違いが出てきます(図−1)。ホオノキは,花粉と種子の移動をそれぞれ昆虫と鳥に依存しており,この様式はその遺伝的多様性に何らかの影響を及ぼしていると考えられます。

図1 送粉および種子散布と遺伝的変異の大きさの関係

 そこで,岐阜県飛騨地方(大野郡荘川村,清見村,吉城郡古川町),東濃地方(恵那郡加子母村),西濃地方(揖斐郡池田町)のホオノキ集団の遺伝的多様性を,アイソザイム分析法を用いて調べました。また,遠隔地の集団と比較するために,岐阜県から約500km離れたところにある鳥取県大山のホオノキ集団も合わせて評価しました(図−2)。

図2 遺伝解析を行ったホオノキ集団の位置

 その結果,それぞれの遺伝的変異量は一般的な木本植物のそれと比べると非常に低い値を取り,低い遺伝的多様性を維持していることがわかりました(図−3)。また,集団間の遺伝分化係数Gstも0.001と非常に小さく,集団間においてもその遺伝的変異にほとんど違いがないことがわかりました。しかし,鳥取県大山の集団では,岐阜県の集団には見られなかった対立遺伝子が観察されたことから,両者が別々の遺伝的変異を保有している可能性が考えられました。

図3 各集団におけるホオノキと木本植物全体の遺伝的変異量

おわりに
 生物種が持つ遺伝的多様性は,目には見えない特徴の一つです。しかし,生物はその遺伝的多様性を保つことで,健全な子孫を残し何世代にもわたって種を存続しています。したがって,遺伝的多様性を評価していくことは生物の保全を考えていく上でも大変重要になっていきます。これまで,木本植物の遺伝解析に関する研究は,県ではほとんど行われていませんでしたが,今後はこれらの研究を積極的に行っていくことにより,岐阜県における貴重樹木の保全方法を考えていく上で役に立つことが出来たらと思っています。


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