樹木成分フィトンチッドの不思議な作用

(岐阜県森林科学研究所)坂井至通


【フィトンチッド】

 フィトンチッドは主にテルペン類と呼ばれる揮発性成分で構成され、構成成分の違いによって樹木ごとに特有の香りがあります。1930年ごろ、レニングラード大学(ロシア)の生態学者ボリス・ペトロヴィチ・トーキン教授が、ギリシア古語の「フィトン(植物)」と「チッド(殺す)」を合成して名付けました。樹木は大地に根を張り簡単には移動できないため、外敵からの攻撃や刺激に対抗する手段として、昆虫などに葉を食べられないための摂食阻害物質や病害菌に感染しないよう殺虫殺菌物質を、また他の植物の侵入を防ぐ成長阻害物質など、自分を護るため多彩な効果のあるフィトンチッドを自ら作り出しています。

【森林浴とアロマテラピー】

写真 「森と木とのふれあいフェア」の様子

 森林の中をゆっくり歩き、「森林浴」を楽しんでいると、フィトンチッドを含んだ空気を胸一杯に吸うことができます。フィトンチッドは、気温、日照、気流、植物相などによって発散量が変化しますが、森林大気中での平均濃度は40ppbといわれ、この濃度付近で人体に良い影響を与えるといわれています。樹木の香りがする所で睡眠をとると疲労の回復が早いことや,森林大気中と同じ濃度のヒノキやトドマツ葉油の中ではマウスの運動量が増大することも実証されています。森林浴は、ストレスを和らげ身も心もリフレッシュさせる働きがあり、精神の安定、心の活力や爽快感を与えてくれます。このようなテルペン類の生理作用を利用し,芳香性の精油を,心身症などの病気の治療に利用するアロマテラピー(芳香療法)が盛んに行われてきています。

 平成16年10月の「森と木とのふれあいフェア」では、スギ、ヒノキ、サンショウなどの精油をアロマポットで焚き、来場者の皆さんに匂いを楽しんでもらいました。 また、スギ、ヒノキ、マツ、イチイ、マキについては、生の枝葉を用意して、来場者の皆様にその場で枝を折ったり葉をちぎって、その切り口の匂いを精油と比べてもらいました。スギ、ヒノキ葉の精油については匂いが強いため、不快に感じる方がみえましたが、スギ、ヒノキ材の精油や生の枝葉については概ね好評でした。今回の催しでは特に女性や子供の方に興味を持ってもらいました。

【脳が匂いを嗅ぎ分ける話】

 2004年のノーベル医学生理学賞は、匂い分子受容体遺伝子の発見と嗅覚(きゅうかく)の分子メカニズムの解明を研究したコロンビア大学(米国)のリチャード・アクセル博士と、フレッド・ハッチンソン・ガン研究センター(米国)のリンダ・B・バック博士に授与されました。匂いを嗅ぐという行為は、鼻から始まります。両博士は、鼻のなかにある嗅覚器官は約500万個の嗅覚神経細胞から成っています。鼻の奥で匂い分子を受け取る特別な場所(受容体)があり、匂いを識別するタンパク質が、匂いの情報を脳に電気信号としても伝えます。さらにどのようにして匂いの情報を脳に送るかを追跡し、この受容体には約1000種類あり、そしてそれぞれが個別の遺伝子からつくられていることが、1991年に初めて突き止められました。また、ひとつひとつの受容体は特定の匂い物質にしか反応せず、匂いごとに反応する受容体の組み合わせが異なるため、人間はその違いを脳で認識し、受容体の種類を上回る種類の匂いを嗅ぎ分けていたことも証明されたのです。これは、驚くべき発見で、私たちは10万種類の匂いを嗅ぎ分け記憶できるという嗅覚と脳の連携プレーが科学的な研究で解明されました。ちなみに、匂いには関係した過去の記憶を思い起こさせるという「プルースト効果」と呼ばれる効果があります。つまり、思い出と匂いの記憶が繋がっていて、匂いを脳が感じるとその記憶が引き起こされるというものです。

【樹木成分のアロマセラピー】

写真 様々なアロマセラピー商品

 アロマセラピーにおけるエッセンシャルオイル(精油のこと)の作用は嗅覚に関係し、脳の仕組みの解明が効果を証明するといわれています。エッセンシャルオイルの香りは、このような嗅覚と脳の巧みな連携プレーにより、私たちの気持ちや記憶、自律神経の働きを活性化し、心や体の免疫強化や保健休養に大いに役だっていると考えられます。現在エッセンシャルオイルには生ゴミ臭、タバコ臭などを除去する消臭作用、気分を落ち着かせるいわゆる森林浴効果、カビや細菌の増殖を抑える食品の防腐作用、家ダニなどへの防虫忌避剤などへの利用が始まっています。

 「総ヒバ造りの家には三年間は蚊が入らない」とよく言われますし、家を建てる時にこうした「ヒバ」「ヒノキ」「スギ」などの木材を使うのは、木が放出するフィトンチッドに白アリ・ダニ・蚊・カビなどを寄せ付けない働きがあるからです。フィトンチッドが身体に良いことが生理的、心理的側面から科学的に明らかにされ、臨床応用や院内感染対策などの医療現場でのも活用され、建材や空調への応用など幅広い展開が期待されています。しかし あくまでも特効薬・万能薬ではないのでご注意ください。

【ひとこと】

 木材から発散するフィトンチッドに囲まれた健康住宅で暮らし、樹木から抽出したエッセンシャルオイルをアロマポットで焚き、心の安らぐひと時を室内で過ごすのはいかがでしょうか。シックハウス症状の起こらない生活空間が、私たちの生活を健康で豊かなものにしてくれると思います。


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