失われつつある軸組工法技術は未来の技術となる得るか(2)


(林産研究部)富田 守泰



 Tedd BensonはBenson社の経営に際し2人の両腕に支えらわている。1人は設計士であり現ギルド会長でもあるJoel C.McCarty氏(以下McCarty氏)、もう1人は今回主要な目的の1つであった構造に関する設計者Dr.Robert L.Brugraber氏(以下Ben氏)。この三人がそれぞれ分担し、1人1日づつ対応していただいた。

ア McCarty氏
 今回の旅程の内、現在のティンバーフレーム関係の場所のアポイント等、建築途中のティンバーフレーム現場の見学や完成されたティンバーフレーム、建設部材の工場見学などはMcCarty氏のお骨折りとE-mail、宿泊ホテルのFAXを使った効率的な情報のやり取りにより実現したものであった。
 彼には貴重な日曜日を割いて私のために一日を費やしていただいた。そしてさらに驚いたことに金子という同会社社員である日本人の大工さんと同行できたことは英語の不得手な私にとってすばらしい収穫であった。
 彼のトラックに乗り、当社の製造した古材利用の既設ティンバーフレーム1ケ所と、これも古材利用の木製陸橋、さらには世界一長い木製カバーブリッジの見学が効率よくできた。また、彼には事前に気を使っていただき、案内つきでブロンズ像の美術館に招待していただいた。
 もっとも感激したのは彼のご両親宅への案内であった。住まい方の日米の相違について考えるヒントを与えていただいたことであった。彼の父親はかつて野球の選手だったという。しかし、今は年金生活者として近隣に息子家族を持つ典型的な老人家庭である。父親の自慢は美しく整った家と手製の家具調度類。家は築後100年以上経ったものを自分で手入れし、その手入れの見事さは目を疑うばかりであった。木造住宅の耐久年数の日米ギャップは住まい方の日本と欧米とのギャップにあり、物の大切さを生活レベルで実行しているか否かの差であるように感じた1日であった。

イ Tedd Benson氏
 翌日、ニューハンプシャー州キーン市郊外アルステッドセンターにあるBenson社を訪問した。そこで調査の内容について2、3のdiscussionを行いその回答を2日の分けて回答を願った。初日は多忙の中Benson氏が担当していただいた。
 会社は30数名の社員で、10名近くが2階に事務所を構え設計監理を行っていた。あとはいわゆるフレーマーで、日本と同じほぞやほぞ穴、各種部材の刻みを行っている。現場現場に応じて作業を分担し、それを現場ごとにローテーションすることで数現場の建築を行えば全ての作業が体験できるという効率的でお互いがメリットを得るシステムとなっている。強いて言えば日本の下小屋での大工の刻みとプレカット工場の中間のようである。我が地域に置き換えてみれば、中小工務店のシステムとして、安直に機械メーカーまかせのプレカット機械を導入するよりもより低コストで効率的なのかもしれないと考えることしきりであった。
 その後、Brattelbolloにあるストレスキンパネル製造工場と世界最大といわれるティンバーフレームによる建造物のVermont Buildingへ行くこととなった。ストレスキンパネルとは厚さが100〜200mmの発砲ウレタンの両面にOSBボードを貼った壁、屋根材である。ティンバーフレーム会社がなぜここへつれてきたかというと、フレームを建てた後、このパネルで屋根も壁もすべて被ってしまうからである。パネルメーカーとしては大得意さんであるわけである。Benson氏によれば、ティンバーフレームにこのパネルを使用したのは同社がはじめてで、今ははとんどのフレームメーカーが使用しているという。施工が効率的で、省エネで、寒冷地にもっとも適するという。日本では北海道で利用できるのではないかと考えた。ところが、最近では日本でも大手メーカーが製造を始め、北海道を主体に普及しようとしているらしい。その生産量はアメリカの全ての工場の生産量以上の生産量だとパネルの工場長は投げやり的に話しているようだった。

ウ Ben氏
 見学最後の日、Ben氏に一日お相手をしていただいた。彼は構造の設計士でドクターでもあり、極めて頭の斬れる人物のようである。我々の持っていたティンバーフレームへの日本のスギ材の可能性について極めて明快に「セン断の結果次第」との結論を受けた。持参した日本の木構造設計基準書を関心を持って見入り、アメリカの基準書との共通性をテキパキと指摘した。
 現地の建築現場の見学をしながら気がついた接合部分の雇いほぞについて質問したら、そのアイデアは見聞きした日本の伝統技術をアレンジしたという。そしてその構造計算上の計算根拠についての資料をいただき、軟らかいスギ材の利用に結びつけようと逆利用を密かに考えている。
 既設の生活している生活を拝見する機会に恵まれた。この建物は前述の雇いほぞを入れた初めての建物であるという。ご主人は一線を退いた一般市民である。決してそれほど裕福そうではなく、平均的な年金生活者であるにもかかわらず、この住まいの余裕はどうであろう。単に土地の広さだけで、答えは出ないと思われる。
 お会いしたフレーマー達はそれぞれティンバーフレームに対する思いが違ってはいるものの、共通しているのは単に儲けのための仕事ではないこと。そして木に対する並々ならない愛着がひしひしと伝わってくることである。そしてそれぞれがギルドを通じて認め合っていることのように思われた。

おわりに
 最後の夜、タイミングよくBen氏宅にてホームパーティーがあった。Benson社の面々とその家族にギルドの仲間が集まり、ガヤガヤ情報交換していた。パーティーのメインはBen氏の海外報告だった。彼は6月にアメリカ合板協会の招きで日本を訪問していたのです。特に平城京跡の朱雀門の復元現場を視察し、その木組に涙が出るはど感心したといっていた。でも彼らに木の複雑な組み手に興味をもたれることに一抹の不安も感じざるを得ない。住宅での利用から離れてしまってはティンバーフレームはないし、私が渡来した理由も住宅にあるのだから。そして岐阜の山にある大半の木は一般庶民の住宅に使われるのだから。


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