森は死しても花粉を残す
−花粉分析のはなし−

(森林科学研究所)渡邉仁志


 自分の住んでいる地域の森林は昔どんな姿だったのか。こんなことを知りたいと思ったことはありませんか?
 数十年前の姿だったら直接ご覧になった方がおられるので、こうした人から話を聞くことができます。さらにさかのぼって数百年前、あるいは西暦千年という大昔であっても、地域に古文書や絵図が残っていれば推測することも可能です。これが縄文時代、あるいは二万年前の太古の森林の姿となると、手がかりが少なく大変困難です。しかし全く不可能というわけではありません。土の中に残された植物の花粉を分析することによって推測できるのです。

◆花粉分析って何?
 過去のある時点での植生やその変化を調べる方法のひとつに、花粉分析という研究方法があります。花粉分析というと花粉の化学分析をするようですが、そうではなく、土の中に含まれている花粉や胞子の種類や量を調査し、過去の植生を推定する研究です。今回、この花粉分析について県内の例を紹介しながら、みなさんを太古の森へ誘ってみたいと思います。

◆花粉は強い
 種子植物やシダ、コケ植物は、種類によって違いますが、大量の花粉、あるいは胞子(以下花粉)を生産しています。これらの花粉は空中に放出されたあと、大部分は地面や水面に落下し、その付近に生息していた動植物の遺体や鉱物とともに堆積していきます。花粉の外膜は酸、アルカリや菌類にもほとんど侵されず、高温でも分解されない、化学的にも物理的にも非常に強い物質です。このため親植物が枯れてしまっても、その地域の植生が変わっても、堆積物中の微小化石として長く保存されます。
 また花粉の多くは50μm以下の大きさですが、その形態は個々の植物ごとの特徴があり、アカマツの花粉のように翼(よく)のあるもの、トゲ状の突起のあるもの、網目状のものなどいろいろです(図−1)。これらの特徴や大きさ、発芽口の形や数などから親植物を特定することができます。種子、木材、葉などの大型化石の発見が偶発的なのに比べて、花粉は、堆積物中に大量に含まれていることが多いため、これらを同定し数を数え、統計的に処理すれば、過去の植生に関する考察を行うことができるのです。

図-1 花粉にはいろいろな形態がある(信州大学農学部中堀謙二氏撮影・提供)

◆県内での研究例
 京都府立大学の竹岡政治氏は、岐阜県内やその周辺で花粉分析を行っています(図−2)。
 それらの成果をお借りして、まずは河合村の天生湿原周辺における約二万年間の森林変遷についてみてみます(図−3)。


図-2 花粉分析実施地点


図-3 天生湿原周辺の植生変遷 竹岡(1983)より作成

(1)18,000〜15,000年前
 氷河期(ウルム氷期)の最寒冷期にあたり、平均気温は現在よりも5℃程度低かったようです。シラビソやコメツガ、チョウセンゴヨウなどの亜寒帯性針葉樹が優占し、これにダケカンバなど寒い地域にある落葉広葉樹をともなっていました。
(2)15,000〜11,000年前
 一時的にダケカンバなどカバノキ属の花粉が優勢になっています。湿原周辺が積雪が多く、残雪期間が長い気候の影響下に入ってきたと考えられます。
(3)11,000〜9,000年前
 ウルム氷期も終末期に入り、気候の温暖化が進んだ結果、植生が亜寒帯性針葉樹林から冷温帯の落葉広葉樹林へ移行した時期にあたっています。この現象は中部地方の花粉分析結果からは広く認められています。
(4)9,000年前〜現在
 ブナがきわめて優勢で、これにナラ類がともなうという、現在の日本海側の代表的なブナ林が確立された時期です。なおブナ林の成立時期は地域によって若干違っており、同じ県内でも高鷲村の蛭ヶ野湿原ではおよそ5,000年前以降だったことが分かっています。
 次に木曽ヒノキの成立についてみてみましょう。岐阜・長野県境の長野県南木曽町田立湿原で行った花粉分析からは、湿原周辺では約7,000年前にはヒノキの卓越する林が成立していたことが分かりました。つまり縄文時代早期にはすでに現在、木曽地方で見られる木曽ヒノキ天然林の原型ができていたことになります。

◆おわりに
 今回はご紹介できませんでしたが、このような成果は、筆者らの研究をはじめ全国各地で得られています。こうした研究は、森林の生態を解明するだけでなく、森林の合理的な造成や自然・森林環境の保全策を考えるうえで有益な資料となりうると考えられます。
 おりしも今年は西暦2001年。新しい世紀を迎える節目の年です。これを機会に何千年も前の太古の森のようすに思いをはせてみませんか。


研究・普及コーナー

このホームページにご意見のある方はこちらまで